January 16,2016

運命




 

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人間の一生というものは、ことに男の場合、幼児体験によって、ほとんど決まると言ってもいい。

しかし、そういい切ってしまったら、身も蓋もないわけだ。

それに、同じような幼児体験をした人が全部、同じような人生を送るかといえば、必ずしもそんなことはない。

そこに、男を磨くことの意味があるんだよ。

生年月日を基準にして色んなことを占う運勢術というのがあるでしょう。

ああいうものは、その人間の持って生まれた根本的な運勢を見るもので、つねに100%その通りになると断定するわけじゃない。

生年月日の同じ人がみんな同じ運命で同じような人生を歩むなんていうことはないわけだからね。

人間の一生は、半分は運命的に決まっているかもしれない。

だけど、残りの半分は、やっぱりその人自身の問題です。

磨くべきときに、男を磨くか、磨かないか….  結局はそれが一番肝心ということですよ。

それならば、男は何で自分を磨くか。

基本は、さっきも言った通り。

「人間は死ぬ….」という、この簡明な事実をできるだけ若い頃から意識することにある。

もう、そのことに尽きるといってもいい。

何かにつけて、そのことを、ふっと思うだけで違ってくるんだよ。

自分の人生が有限のものであり、残りはどれだけあるか、こればかりは神様でなきゃわからない。

そう思えばどんなことに対しても、おのずから目の色が変わってくる。

そうなってくると、自分のまわりのすべてのものが、自分を磨くための「磨き砂」だということがわかる。

逆に言えば、人間は死ぬんだということを忘れている限り、その人の一生はいだずらに空転することになる。

仕事、金、時間、職場や家庭あるいは男と女のさまざまな人間関係、それから衣食住のすべてについて言えることは、「男の磨き砂として役に立たないものはない….」ということです。

その人に、それら一つ一つを磨き砂として生かそうという気持ちさえあればね。

 

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